アーティストインタビュー “鈴木 弘尚”

上手に弾けた時の音楽が、どんなに素晴らしいかを教えてあげたいですね

ピアニスト 鈴木 弘尚さん インタビュー

2003年に開催された第5回浜松国際ピアノコンクールで第5位に入賞した際の奮闘ぶりが、NHKのドキュメンタリー番組で放映され、大きな話題となった鈴木弘尚さん。その後、本格的に演奏活動に力を注ぎ、2005年4月に、ハーモニー・レーベルからリリースしたデビュー・アルバム「Etudes Symphoniques」が高い評価を獲得。日本国内はもとより、イタリア、パリ、ドイツなど、ヨーロッパ各地でもリサイタルを開催、2007年10月には2枚目のCDをリリースするなど、活発な演奏活動を繰り広げています。

続けることのおもしろさを知った幼年期」

  1. 3歳からヤマハ音楽教室に通ったのは、なにかきっかけがあったのでしょうか?
  2. 自分の意思で始めたわけではなく、当時の記憶はあまりありません。コマーシャルに合わせて歌を歌っていたそうで、それで「音楽を習わせてみたら」ということになりました。たまたま、従姉妹がヤマハ音楽教室に通っていたこともあって、叔母が僕の母親にヤマハのことを紹介して、入会しました。
  3. 子どもの頃に音楽教室に通っていて、印象に残っていることはありますか?
  4. 親が言うには、最初は泣きながら通っていたらしいのですが、ある時から急に泣かなくなって、宿題もやるようになったそうです。なにがきっかけだったのかは、自分ではよく覚えていません。でも、それからは楽しく通いました。もしも、そこで止めてしまっていたら、なんでもすぐに止めればいいと思ってしまっていたでしょう。無意識に乗り越えたのでしょうが、続ければおもしろさが理解でき、結果も出てくることに気づきました。
  5. ピアノのコースを選んだのは、なにか理由やこだわりがあったのでしょうか?
  6. ピアノを弾きたいと思い、自然に選びました。エレクトーンは、ボタンで音を変えるけれど、ピアノは指ひとつでいろんな音が出せる、という話を子どもながらに周りの人から聞いていました。「えっ、そんなわけないじゃん。本当なのかな?」と思ったことを覚えています。それが、ピアノに興味を持った始まりかもしれません。
  7. グループ・レッスンの場合、一緒にレッスンを受けている子を意識しましたか?
  8. 負けず嫌いなのですが、不思議とその頃はそういう意識はありませんでした。学校では、勉強でもなんでもとても負けず嫌いだったのですが、ヤマハ音楽教室では、競争意識はなかったですね。週一回集まる仲間たちというか、学校とは違うグループであることにおもしろさを感じていたので、とても楽しく通っていました。

大きな刺激を与えてくれた海外の音楽文化」

  1. 音楽の道に進もう、と思ったのはいつ頃ですか?
  2. 小学校の2年か3年の頃に、それまでは実家のある所沢市でレッスンしていたのですが、目黒に通わせてもらう機会を得ました。そこで、ちょっと専門的な意識が芽生えた気がします。所沢から通うと、目黒までは1時間から1時間半はかかりますから、そこに通うだけの重みみたいなものは感じていました。その後、6年生になってマスタークラスに選ばれ、モスクワ音楽院教授のヴェラ・ゴルノスタエヴァ先生に習うようになりました。その頃ですね、音楽の道に進もうという意識が芽生えたのは。僕は、小学生の頃から英語の勉強をしていましたけれど、外国人に会った経験はほとんどありませんでしたから、日本人とは考え方も全然違うし、いろんなショックを受けました。

  3. それまでの日本人の先生と、ロシア人の先生との違いを、その当時の鈴木さんはしっかりと感じ取っていたのですね。
  4. ええ。全然違いましたね。例えば、それまでは、「こうすれば、こうなる」という道順だったのが、「まず、こういう音を出せるようになりなさい」と言われました。「この音が出せれば、どう弾いたっていいんだよ」ということです。日本では、とかく指の形がどうとか言いますが、指の形さえ間違わなければ、求めていた音が出るのか、というとそれはまた別問題なんですね。でも、日本では常に形の方法が、一方通行的に入ってくる傾向があると思います。それが、ロシア人の先生は、形から一方的に入るだけでなく、「求める音はこうだ」という具合に、両方からトンネルを掘っていくようなスタイルでした。今度、オンデマンド講座の収録の中で鉛筆奏法(4〜6月特約店配信予定)というのをとりあげますが、鉛筆を使っても弾けることを見せてくれたのが、その先生なのです。「指でなくても、心の中にそういう音を求める気持ちとイメージがあれば、鉛筆でも音が出るんですよ」ということです。
  1. ヤマハマスタークラスに選ばれたときは、どういう気持ちでしたか?
  2. どういうクラスなのか、実は全くわかっていませんでした(笑)。僕らは、まだ2期生で、先例もありませんでしたし、合宿生活が始まるんだくらいの認識でいました。そこで、ようやくライバル意識というか、競争意識が出てきました。寝泊りも一緒にする合宿もありました。最初は、本当になにもわからなかったのですが、入ってから周りの人たちのレベルの高さにびっくりしました。それこそ、上原彩子さんをはじめ、いろんな方が一緒でしたから。

  3. イタリアのイモラ・ピアノアカデミーに留学されましたが、これはなにかこだわりがあったのでしょうか?
  4. どうしても、海外に行きたいという気持ちはありました。ロシア人の先生に習っていましたし、それを活かせる形、プラス、違う土壌ということを考えました。それで、候補として浮かんできたのがイタリアだったのです。イタリアはオペラの国ですが、ロシアの根底に流れる歌心というか、種類は違うけれども、とても歌を大切にしている部分が共通しています。同時にイタリアには、クリストフォリが初期のピアノを作ったという自負があります。鍵盤楽器とそれらを演奏するための技術体系を形作った意識が国民性としてあると思うんです。マスタークラスの先生などから、セミナーをご紹介いただいて、夏にイタリアへ行ったりもしましたし、最終的には自分で決めました。
  5. レパートリーや音楽性に関することが大きな理由だったのですね。
  6. そうですね。それに、学校のシステムに魅かれた面もあります。複数の先生に習うことをポリシーとしている学校だったんです。それによって、国際的な広い視野を持つことができると思いました。
  7. プロのピアニストになろうと意識したのは、いつ頃からでしたか?
  8. 1995年、17歳の時に初めてコンクールで賞をいただきました。聴衆の方から、「感動しました」とか、「その曲の魅力を再確認しました」とか、いろいろな声を掛けていただきした。それまでは、マスタークラスにいてもどこか受身な部分がありました。自分が出した音によって何かを感じてくれて、影響を与えているんだということを通じて、そこで自分というものを認識したのが転機でした。やはり、聴衆の存在は大きいですね。今でも、演奏会のモチベーションは、聴衆の方に喜んでいただくことが一番大切だと思っています。
  9. イモラでの先生方の印象はいかがでしたか?
  10. 海外は、日本とは違って、先生と生徒の境界線がありません。例えば、送り迎えはいつも先生の車だったり、「食事に行こう」って電話がかかってきたり、音楽を探求する仲間という意識で、コミュニケーションがとれる環境です。日本では、そういう接し方はあまりなかったですね。日本では受身でもよかったのですが、向うでは、意見が交換できるか、できないかを重視します。仲間ですから、自分の意見も言うし、相手の意見にも耳を傾けるというキャッチボールが求められます。ですから、逆に日本から行くと、その点は大変になりますね。

  11. イタリアで、改めてピアノの奥深さに触れたこともありましたか?
  12. ミケランジェリやポリーニなど、イタリアは有名なピアニストを輩出しています。イタリア人の先生が、「ポリーニのような天才は、イタリアには何千人といる」とよく言っていたのには、とてもびっくりしました。しかし、「ほんの一握りではなく、みんながそんな才能を持っている。でも、別にピアノを選ばなくても他にもできてしまうことがあり、他の才能を活かして、別の道に進んでしまう」ということを言われたんです。本当に多才な人が多い国でしたね。僕らが、文化の裏付けもなしに、ポッと行ったのとは違って、美術的な町の風景に囲まれているからかもしれませんが、演奏そのものが多彩というか、日本では考えられないものでした。フランス人ならフランス人、ドイツ人ならドイツ人という演奏があります。ところが、イタリアの場合、これがイタリア人の演奏だ、というものがないんです。それこそ、千差万別、人それぞれです。そんなイタリア人の多彩な才能と感受性の豊かさを、学校で生徒たちの演奏を聴いて感じました。以前は、「その曲を通して自分がメッセージを発信する」という意識が薄かったのですが、違う文化の中に入って、解釈ひとつをとっても、自分ならではのものを求めていく姿勢が自然と身についたと思います。

生徒が考えるきっかけをつくってあげる

  1. 自分が教える立場になった際に、海外の先生とのコミュニケーションの経験は役に立ちましたか?
  2. 自分自身は、先生と生徒の垣根がない状態が心地よかったものですから、なるべく自分もそうしたいと思っています。教えるという態度ではなくて、アドバイスですね。「こういう方法もあるよ」という感じで進めて行くことを念頭にレッスンしています。その代わり、生徒さんには、しょっちゅう嫌な質問をするって言われてます(笑)。どうしても、考えてもらうきっかけが必要ですし、それが先生の役目の一つだと思っています。自分の意見も持ってもらうために、嫌な質問をバンバンして困らせちゃっています。いわゆる神童とか天才とかもいますが、僕はそういうタイプではありません。マスタークラスでは、周りの人ができていたことができないという体験もありましたから、「なんでできないのかな、どうすればできるのかな」と自分なりに考えました。パパッと器用にできてしまう人だと、何が問題になるのか判らない場合もあるんじゃないでしょうか。そういう意味で、自分が通ってきた道は、平坦ではありませんでしたから、そこで考えた時間が、今、生きていると思います。やはり、みんながみんなパッと弾けるわけではありませんから、「どうしたら改善できるのか」という点は、自分が通ってきた道はとても役に立っています。

  3. レッスンでは、暗譜の重要性が語られていますが、若い時代の蓄積は、やはり大切でしょうか。
  4. あるピアニストは、「10代の頃にものにした曲は、100歳になっても弾ける」と言っています。ところが、20歳を過ぎると、急に覚えも悪くなるし、覚えてもすぐには思い出せなくなるわけです。とにかく、若い頃は詰め込み型でもいいんですよ。いろんなことをたくさん覚えて、いろんな曲を弾くことが大切です。よく学校の試験で、1年間で1、2曲しか弾かないという話も聞きます。そうではなくて、どんどん詰め込むということです。詰め込んだものが、20歳を過ぎて消化され、うまく自分の中に養分として入っていくんです。取り入れる作業をしていないと、20歳を過ぎてからは入りにくくなりますから、10代のうちに取り入れるだけ入れておくというのが、自分の経験からも大事だと思っています。今でも、「弾いてください」と言われて、パッと弾けるのは10代の頃に弾いていた曲なんです。
  5. レッスンをする立場にある方に、アドバイスがありましたら、お願いします。
  6. レッスンというのは、いろいろな意味で難しい作業だと思います。アリエ・ヴァルディ先生から聞いた言葉を、僕はよく披露するのですが、それは、「飛べない鳥に飛び方を教えるのも必要だけど、それは重要な仕事ではない。飛び方を教えるのではなく、空を飛んだ時に見える景色が、どんなにすばらしいかを教えるのが先生だ」というものです。これが、僕が肝に銘じていることです。その方法の一つが、先生が模範演奏してあげることです。「こういう音楽になるんですよ」って、飛び上がった後に見える世界を示してあげるんです。具体的な飛び方を教えるのも大切ですが、飛び方だけ教えるのは、先生の役割を十分に果たしているとは言えません。むしろ、自分で飛び方を考えれば、自然と飛べるようになると思うんです。そこで、モチベーションを与えることを、教える立場の方たちには大事にしていただきたいですね。だから演奏してあげることは、すごく重要なんです。つねに、すばらしい世界を見せてあげるためには、先生も練習や勉強が欠かせません。そういう意味で、自分自身も、とてもいい練習になっていますね。
  7. 今後の抱負や予定を教えてください。
  8. 抱負としては、僕にしかできない音楽を、みなさんにお聴かせしたいです。それは、作品を自分流に勝手気ままに変えてしまうとか、そういうことではありません。僕らの役目は、フィルターです。フィルターを通って出てきたものが作品そのものであるべきです。例えば、食事なら、加えたり減らしたり、味付けを変えたりしますが、食べ物そのものには変わりありませんよね。ちょっとした加減は、演奏者の調理次第です。シェフ鈴木として、僕のところでしか食べられない味をこれから追求していきたいと思っています。「あの曲を聴くのなら、僕のコンサートへ」という部分を、もっと打ち出していきたいです。そういう意味で、唯一無二の演奏家を目指しています。新しくリリースされた2枚目のCDは、すべてラフマニノフの作品に絞りました。2008年1月15日には、紀尾井ホールで、CD発売を記念したリサイタルを予定しています。

鈴木 弘尚

1978年、埼玉県所沢市に生まれる。3歳よりヤマハ音楽教室に学び、1990年よりヤマハマスタークラスに在籍。1997年秋よりイタリアのイモラ・ピアノアカデミーに留学。2002年6月に行われた「第12回チャィコフスキー国際コンクール(ロシア)」ピアノ部門でセミファイナリストとなり特別賞を受賞、2003年第5回浜松国際コンクール第5位入賞するなど、国内外の数々のコンクールで活躍。2004年4月からは本格的に演奏活動に力を注ぎ、国内はもとよりイタリア、パリ、ドイツなどヨーロッパ各地でもリサイタルを展開する。2005年4月、ハーモニーレーベルよりデビューアルバム“ETUDES SYMPHONIQUES”を、2007年10月には2枚目のアルバム“RACHMANINOFF”をリリース。同月、イモラ国際ピアノアカデミーを修了、併せてマスター・ディプロマを獲得。平成14年度文化庁派遣芸術家在外研修員。