アーティストインタビュー “川上 昌裕”

個性も基礎力も大切にしたい 難しいですが、やりがいも大きいです

ピアニスト 川上 昌裕さん インタビュー

20世紀ロシアの作曲家メトネル、現代ロシアの作曲家カプースチンの演奏と楽譜の出版で知られる川上さん。どちらも音楽マニア好みのレパートリーですが、ご本人のレパートリーは幅広く、実力派として評価を確立しています。その一方でピアノ教育者としても実力を発揮されています。

ショパンにピアノ音楽の奥深さを教わった

  1. 小さい頃からクラシック音楽に親しんでいたんですか。
  2. 父が音楽好きで、クラシックのLPレコードが家にたくさんあり、よく聴いていました。私も3歳くらいから興味を持ち、当時の一番のお気に入りはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」でした。
  3. ピアノを始めたきっかけはなんですか。
  4. 父が好きで、家にアップライトでしたがピアノがありました。父は弾いていましたよ。私もきっといたずらでピアノに触っていたのでしょう。母が習いたいなら、と従兄が習っていたピアノの先生のところに連れていってくれたのが始めです。小学校いっぱい、その先生に習いました。
  5. 練習がつらかったりして、ピアノが嫌いになったことはありませんでしたか。
  6. 弾けない箇所がたくさんあって、もどかしく思うことはたくさんありましたが、嫌になったことはないんですよ。
  7. 音楽の道に進もうと思ったのはいつ頃でしょうか。
  8. 小学校3年の時にショパンに出会い、ピアノの世界の奥深さを知ってからです。中でもバラードやワルツは毎日のように聴きました。お小遣いで少しずつ楽譜も揃えて、いつかショパンを弾けるようになりたいと思ってました。ショパンの作品と出合っていなかったら、ピアニストになりたいと思わなかったかもしれません。私がピアニストになりたいと話をすると、父はとても喜んでくれましたよ。
  9. ピアノは順調に上達して、東京音大に進みましたね。
  10. 音楽に囲まれている環境はとても新鮮で、学ぶものは多かった。自分の技術を磨くために「ハノン」を毎日弾き込んだのも大学に入ってからです。8か月の間、毎日欠かさずハノン全曲を弾き続けるんです。1か月くらいで効果が出始めました。ポイントは、ゆっくりといい指の形を保って弾きながら、音色をよく聴くこと。後から気付きましたが、世界のトッププレーヤーなど意識の高い人は、目の前にした作品でこのことを行っているんですね。たとえばショパンを弾くためには、テクニックと音楽性の両方が要求されます。指先の触覚、指から肩までが一体となった感覚、そして研ぎすまされた聴覚。これらが統合して初めて、ショパンが弾けるのだと思います。
  11. ハノンを8か月。なかなかできることではありませんね。
  12. そんなことをしながらも、自分の勉強は、ここで完結しないんじゃないかとも思ってました。留学はした方がいいなと。そんな時、私の恩師でもある弘中孝先生とそのお弟子さんからお話をいただいて、ウィーンに行けることになりました。実際に行ったウィーンは、まさに音楽の都でした。偉大な作曲家たちの足跡が町のそこここに溢れている。歴史のある街並、人々の温かさなど、自分の故郷のような感覚を持ちました。食事だけは、毎日外食では辛かった。そこでウィーンにいた7年間は自炊してたんですよ。お米を手に入れて炊いていました。

  13. ウィーン市立大学のイリエフのマスタークラスに入ったんですね。
  14. とにかく誉めてくれる先生でした。日本ではどの先生にもなかなか誉めてもらえなくて、満たされない気持ちもあったせいもあって、とても楽しいレッスンでした。
  15. その後、ウィーン国立アカデミーの教授を務めるトイフルマイヤーに師事。
  16. 公開レッスンで彼の通訳をしたことがあって、非常に優れた先生だと思いました。音楽のことをすべて言葉で表現することのできる人なんです。自分は感覚的に伝えてしまうんですが、先生は言葉できちんと伝えられる。演奏には、論理的なバックグランドも必要です。個人レッスンという形で親しくさせていただきました。

レッスン日誌をつけています

  1. ウィーンを拠点に演奏家としての活動も展開しておられた中、帰国されましたね。
  2. 東京音大から講師にならないかと誘われたのがきっかけです。ウィーンの食事が身体に合わなかったというのも理由のひとつですが(笑)、自分がヨーロッパで勉強したことを、日本人に伝えたいと強く思ったんです。7年間の滞在でレパートリーも増やすことができたし、そろそろ日本に帰るべきなのだと。でも帰国し教え始めてすぐに、自分の勉強がいかに足りなかったかを思い知らされました。でも、人に教えるために勉強すると、より深いものが得られることも知りました。
  3. 教える時に気をつけていることはなんでしょうか。
  4. 生徒ときちんと話し合う機会を持って、ピアノにどう向き合いたいのか、そしてどう向き合うのかを明確にさせています。ピアノという素晴らしい楽器には、しっかりと取り組んで欲しいからです。私は生徒をすぐに誉めてしまうタイプの先生なので、誉め過ぎにも気をつけています。高い理想を持っていることで、音楽に向き合う厳しさを示したいとも思っています。だから、生徒が本当に頑張った時にだけ誉めるようにしています。
  5. ピアノの先生方にアドヴァイスをいただけませんか。
  6. 私が偉そうに言うのはおこがましいですが、その生徒が進むべき方向をはっきりさせることから、レッスンが始まるといいなと思います。そうすることで、その生徒の個性も見えてくるし、それを伸ばす道も開けていく。でも、一口に個性を伸ばすと言っても難しいんですよね。奔放に弾かせていると基礎が抜けてしまい、基礎ばかりにこだわっていると応用力が身に付かない。その両立には私も日々、悩んでいるところです。私は生徒のレッスン内容を日記のようにして記録しています。そうすると、生徒がどこまで到達したのかもきちんと把握できるし、今後のレッスンの展開を考える資料にもなる。もちろん自分の蓄積にもなります。

  7. 本格的なピアニストとしての活動が始まりつつある辻井伸行さんには、何年位指導されたのですか?
  8. 12年になりました。昨年の4月に彼が上野学園に入学したのを機に、横山幸雄さんにバトンタッチしました。辻井さんは、今どき珍しいくらいに真っ白でピュアな感性を持った人。ストレートでどこまでも真っ白なのは魅力なんですが、これからはそこにさまざまな色を加えていって欲しいと思います。長年付き合っている中で私に頼ってくる傾向があったので、新しい環境の中で新しい先生に指導を受けることはいい刺激になると思います。彼には作曲や即興、ジャズ音楽への傾倒もあるので、その方向性も伸ばして欲しいですね。横山さんはJOC出身で作曲も手がける方ですから、きっといい方向に向かってくれることでしょう。

メトネルとカプースチンはライフワーク

  1. ロシアの作曲家でピアニストのメトネルとカプースチンの作品演奏にも力を入れていますね。どちらも超絶技巧が要求される、手強い作曲家です。
  2. 学生時代からロシアの作品は好きで、ラフマニノフやプロコフィエフはよく弾いてたんですよ。19世紀終わりから20世紀半ばまで生きたメトネルの作品に出合ったのは、1990年代の後半でした。ピアノ作品の作曲家としてはショパンに匹敵する人だと思います。ラフマニノフとほぼ同時代を生きながら、なぜこんなにも弾かれないのか、不思議でなりません。その作品は、後期ロマン派の流れの中にある傑作ぞろい。ベートーヴェンを深く学んだ人なので、作品の構築性においても非常に優れています。作曲の才能に驚くばかりなんですが、そんな彼が考え抜いて作曲したこともわかります。
  3. カプースチンは今も現役の作曲家でピアニスト。ジャズの語法を取り込んだ作風で、少しずつ世界に知られるようになってきました。
  4. 明るい音楽性、エネルギーに満ちた作品の数々。ジャズの要素が魅力的に使われているのが特長ですが、クラシックとジャズを完全に融合させてしまったのが、彼の凄いところです。ジャズの即興演奏のようなフレーズも、すべて楽譜にきちんと書き込まれています。彼のオリジナリティは、ジャンルを超えて輝きを放っている。その音楽センスは凄いの一言に尽きます。
  5. 両者とも、日本での楽譜出版にも尽力してますね。カプースチンとは親交もあるとか。
  6. カプースチンさんには、どうしてもコンタクトを取りたくて、こちらから何度も連絡をして、やっと受け入れてもらいました。今は、日本における彼の「代理人」のように思ってくれてます。この7月には「カプースチン ピアノ作品集」3枚目のアルバムをリリースする予定です。ピアノ・ソロ作品のほかに、2台ピアノや室内楽の作品もあるので、こちらはコンサートで取り上げていきたいと思っています。
  7. ピアニストとなるきっかけを作ったショパンについて、今はどうお考えですか。
  8. もちろん演奏していきたいと思っています。ピアノのレッスンやレパートリーの基本は、バロックから古典、ロマン派へと流れていくのが自然だと思いますが、ショパン作品の演奏についてもその流れの中でとらえ直していきたいと思っています。もちろん、大好きなメトネルとカプースチンも同様に、音楽史の流れの中でとらえ直すことが大切だと思っています。

川上 昌裕

1965年北海道旭川生まれ。ピアノを宮澤功行、三浦捷子、弘中孝らに師事。88年東京音楽大学ピアノ演奏家コースを首席で卒業。在学中からソロと室内楽での活動を始める。88年には第1回ピアノ・リサイタルを開催。同年スペイン、バルセロナでのマリア・カナルス・コンクールに第4位入賞。さらにウィーン市立音楽院に留学し、ディアンコ・イリエフのマスタークラスで学ぶ。92年、同音楽院を首席で卒業。ウィーン国立アカデミーの教授トイフル・マイヤーのもとで研鑽を積む。在欧中はウィーン・ショパン協会主催のリサイタル、弦楽器や管楽器とのアンサンブルなど、数多くの演奏会に出演。95年に帰国。リサイタルやオーケストラとの共演で高い評価を受けている。ロシアの作曲家ニコライ・メトネルやニコライ・カプースチンの作品を日本に紹介し、楽譜の校訂も継続的に行っている。著書に「ちょっとピアノ 本気でピアノ」(ヤマハ・ミュージック・メディア)がある。東京音楽大学講師を務めている。