アーティストインタビュー “清塚 信也”

辛い時期を過ごしている人にこそ、クラシック音楽を届けたい。

ピアニスト 清塚 信也さん インタビュー

テレビ・ドラマとアニメの「のだめカンタービレ」でピアノ演奏の吹き替えを担当して一躍知られるようになった人気者の清塚信也さん。正統派のクラシック・ピアニストとして着実にその道を歩み始めていますが、一方で自身でオリジナル作品を書いて演奏する活動も展開しています。クールな印象の彼ですが、そのお話には音楽への熱い思いがありました。

いつも側にあったピアノ

  1. 若い世代の中でトップクラスの人気を誇る清塚さん。情熱的な演奏が魅力ですが、小さい頃から音楽がお好きだったのでしょうね。
  2. 父母ともに音楽は大好きで、中でもクラシック音楽はいつも家の中に流れていました。物心がつく前から聴いていたんですね。音楽を習い始めたきっかけは2歳年上の姉です。どういう理由かはわかりませんが、この姉が桐朋学園の「子供のための音楽教室」でヴァイオリンを習うことになり、まだ留守番のできない僕も母に連れられて行っていました。それから3年間は僕自身は習いませんでしたが、姉のレッスンを直接見ていましたので、レッスンを受けていたのと同じだったんですね。知らないうちに絶対音感が養われていました。聴音の授業などでは、誰よりも先に答えがわかるようになっていました。僕はピアノを5歳から始め、その教室には7歳から通い始めたんですが、母は相当に期待してたみたいです。個人レッスンの先生がとても熱心で、2〜3日に1回くらいのペースでレッスンしてくださり、また人間的にも僕と相性がぴったりでした。

  3. 上達も早かったんでしょうね。
  4. 僕は性格の良くない子どもだったので(笑)、周りの子どもたちよりも進度が早いことに優越感を持ってて、それが楽しかった。でも上のクラスに進むと同じようなレベルの子どもたちが集まるようになって天狗の鼻は短くなり、また周りは女の子ばかりだったので孤独でした。レッスンは好きじゃなかったし、練習は嫌いでした。ピアノ自体については好きとか嫌いとか考えたことはなかったんですよ。小さい頃からいつも側にあったせいか、ピアノを弾くのは呼吸をするのと同じような感覚なんです。感情が沸き起こってくるように、曲を作ったりもしていました。

「負け犬」にはなりたくない

  1. そんな清塚さんに大きな「試練」が訪れた。
  2. 中学1年生の時です。同世代の女子たちは、身体が発達して男子を追いこす時期でもありますよね。僕はそれまでコンクールだからと緊張することもなく、いい成績を残すことができていたんですが、中学生になって受けたコンクールでは予選で落ちてしまったんです。それはまるで、生きることを否定されたような気持ちでした。でもよく考えれば、それまで練習を頑張ったことがなかったわけですから、このままでは「負け犬」になってしまうと思いました。それからは1日12時間を目標に練習し始めたんです。その練習時間を作り出すために学校を早退したりもしましたが、とにかく頑張って練習していないと不安で仕方がなかったんです。そんな時に播本美恵子先生に出会いました。最初は僕の演奏を全面的に否定されたりして、それこそ地獄を味わいましたが、それもいい経験となりました。先生のお陰で、目標を見失わないで済みました。

  3. そんな練習を1年程続けた甲斐があって、見事に日本学生コンクールの中学校の部で優勝を果たしましたね。
  4. 挑戦者としての気持ちがあまりにも強すぎて、最初は優勝という事実が受け入れられませんでした。母はそれこそ飛び上がって喜んでくれて僕に抱きつこうとしたんですが、その時の僕はそんなことさえも受け入れられなくて、身をかわしてしまったんです。母はそれがとてもショックだったようで、折に触れては今でも言いますよ(笑)。
  5. 将来、プロのピアニストになる、と決めたのはいつ頃でしたか。
  6. 小学校6年生くらいから、プロになるためにはどうしたらいいのか、と考えるようになりました。挫折の後に復活して、ピアノにもっと真面目に取り組まなければと思うようにもなりました。それならば、高校から大学へと馴染みのある桐朋学園に進んだ方がいいなと。高校でもまた、いい先生に巡り会いました。加藤伸佳先生です。それまで大人の男の人を前にするとすごく緊張するので、苦手だったんですが、先生の細かいことにとらわれないところや、頑固で決して譲らないところに触れられたのはとても刺激になりました。もともと僕は疑い深いタチなせいか人の言うことを鵜呑みにするのが嫌いで、先生の頑固さや譲らない態度と格闘することは、とてもいい人生経験になりました。

  7. 中村紘子さんにも師事された時期があるんですよね。
  8. 中村先生はピアノを演奏するということに対して、厳しくストイックなレッスンでした。僕はいつも緊張でガチガチになり、まともな演奏もできてなかったと思いますが、凄く鍛えられました。

ロシアでの心の放浪の日々

  1. 高校を卒業し、大学のソリストディプロマコースに入ってすぐに、ロシアに留学したんですね。
  2. ある時、自分がピアノ・マシーンになっていることに気付いたんです。自分にはピアノしかなくなっていた。先生をはじめとする大人たちに対する屈折した思いもあったし、周りの学生たちの音楽に対するいい加減な態度も許せなかった。その一方で、友人たちに正論を吐いては嫌われていく僕自身の人間性に対するコンプレックスもありました。また、人間的に信頼し、善かれと思ってピアノのアドヴァイスなどをしていた友人に裏切られるような形にもなったりして、何もかもすべて捨ててしまいたくなりました。でもピアノだけは捨てられませんでした。それならば、音楽を勉強するという名目で、自分自身はもちろん、自分のことを誰も知らない場所に行こうと思いました。それが自分にとってはモスクワだったんです。

  3. 実際に行ってみて、いかがでしたか。
  4. ロシアの学生たちは、それこそ死にものぐるいで練習していました。他人に頼らず黙々と。コンクールで戦いながら「負けてはいけない」と思って生きてきた自分は、それを求めていたはずなのに、自分が本当の目指すものは違うのではないかと思うようになっていきました。
  5. 名教授として知られるセルゲイ・ドレンスキーに師事したんですよね。
  6. すごいレッスンで、今世界の第一線で活躍しているマツーエフやルガンスキーたちの目の前で弾くんです。ミスをすると、その生徒たちの間から失笑が起こる。その緊張感は自分を鍛えるのに良かった。何よりも辛かったのは「自由」です。ピアノを弾く以外に何もすることがない。片っ端から映画を見たり、酒で紛らわしたり、放浪の旅に出たり、そんなことを繰り返していましたが、結局は何も得られなかった。

クラシック音楽をたくさんの人に聴いてほしい

  1. まる2年をモスクワで過ごしたんですね。
  2. 帰国してみたら何もなくなっていました。家族以外に口をきく人もいなくなってしまっていました。ピアノさえ嫌いになってしまった。それでも以前のつてで、ほんの少しですがコンサートの依頼はありました。どん底の気持ちの中で、ある日「自分は人間的に『いい人』になりたい」と思い始めました。よくよく考えれば、人生の節目となる時期に素晴らしい先生方と出会えたことをはじめとして、自分は今まで人との出会い、その人たちとのつながりの中でピアノを弾きながら生きてこられたことに気付いたわけです。それからは、先生をはじめとして以前お世話になった方々に挨拶に行ったりして、少しずつ人とのつながりを紡いでいきました。

  3. それが今の幅広い活躍につながるわけですね。
  4. ピアノ演奏にも本腰を入れるようになって、広がっていきました。ステージは毎回、いい緊張感で臨めています。以前は、こんなに最低の人間である自分が人前で演奏していいのだろうか、という後ろめたさのようなものがあったんですが、人間的に成長しようと思うことでそれを吹っ切ることができました。本格的なクラシック音楽をもっと多くの人に聴いて欲しくて、映画「神童」の時は演奏担当を、自分で売り込みにも行きました。プロデューサーや監督をはじめ、いろんな人に頭を下げてお願いに歩くことは新鮮な体験でもありました。
  5. 現在は年間200回を超えるコンサートをこなす売れっ子ですね。
  6. 少し多すぎるのかもしれません。自分がすり減らないように気を付けないと。音楽は自分の中から出ていくものなので、自分の中にいろんなものを蓄積していかないといけないと思っています。プロ意識を徹底することの難しさを実感しているところでもあります。地方やサロンでのコンサートでは、人々が音楽を欲しているのがわかるので、これはずっと続けたい。それと学校訪問コンサート。子どもたちの興味津々の眼差しは、僕の大きな力になっています。音楽そのものには、意味も意見もないと思っています。それが演奏され、人に届けられてはじめて慰めになったり勇気付けになったりする。ぼくはそこに関わりたいと思っています。
  7. ピアノの先生方にアドヴァイスをいただけませんか。
  8. 生徒は先生を、子どもは親をスーパーマンだと思う時期があります。スーパーマンだと思われている時期の先生や親の言葉や態度には、大きな責任がある。その子の一生を左右してしまうかもしれない。後に先生も親もスーパーマンでなかったことに気付くものではありますが、それを忘れないでいただけたらと思います。

清塚 信也

1982年東京都生まれ。5歳からピアノを始め、7歳から桐朋学園「子供のための音楽教室」入室。96年、全日本学生音楽コンクール・中学校の部で優勝。98年東京交響楽団との共演でデビュー。第3回浜松国際ピアノアカデミー「アカデミー国際ピアノコンクール」第1位。桐朋学園女子高等学校音楽科に入学。2001年、桐朋学園大学付属ソリストディプロマコースに入学。モスクワ音楽院に留学。04年、第1回イタリアピアノコンコルソ金賞。05年、日本ショパン協会主催ショパン・ピアノ・コンクールで第1位。06年、フジテレビ系ドラマ「のだめカンタービレ」にて「千秋真一」のピアノ演奏の吹き替えを担当。アニメでもサウンドトラックを担当。07年、アルバムでCDデビュー。映画「神童」でサントラ演奏、ピアノ指導、出演も果たす。中村紘子、加藤伸佳、セルゲイ・ドレンスキーに師事。オリジナル・アルバム「Qualia」、クラシック・アルバム「熱情」をリリース。