アーティストインタビュー “北村 源三”

永い間演奏してきましたが、結論はまだ出ていません。
音が出る限り吹き続けたいですね。
- 北村 源三

楽器・ジャンルを問わず音楽に関わる様々な方をお迎えし、その生の声をお届けする新コーナー「アーティストインタビュー」。
第1回目は、25年間に亘ってNHK交響楽団首席を務めた、日本が誇る名トランペット奏者・北村源三先生。並行して東京藝術大学・国立音楽大学などで後進の指導にも携わった後、現在もなお多方面で活動を続けられています。
今回は、12月19日のリサイタルを間近に控えた某日、北村先生がご自身の半生を振り返りながら、様々なお話を語っていただきました。

音楽に魅了された学生時代

私の中学校の吹奏楽団は活動が盛んで、土・日や放課後になると、外に演奏に出掛けるんですね。そんな光景を小学生の頃から見ていて、音楽よりもそちらの方に興味を持ちまして。それで、中学に入って入団を志願したら、先生からトランペットを吹くように言われたんです。トランペットというのは多分あのラッパのことだろうなぁ、という認識しかないまま始めたのがきっかけでした。それで始めてみたら面白くてやめられなくなってしまってね。高校ではもう少し専門的にやりたいと思って、堀川高校の特設音楽科に入りました。

音楽で食べていこうと思ったのは、高校3年の頃ですね。私の家は代々染物屋で、明治天皇から礼装用の着物を請け負ったりしていた家系だったので、その道に進む方が良かったのかもしれないし、音楽の世界で自分がどのくらいできるものか分からなかったけど、やってみたかったんです。というのも、高校3年の頃にジャズバンドのエキストラをやったことがあって、それが楽しくてね。ただ、そのままジャズバンドをやっているだけではちょっと心配だったので、専門的に勉強しようと東京藝術大学を受験しました。

ウィーン・フィルとの出会い

1956年、私が大学1年生の時の4月にウィーン・フィルが初来日したんですが、日比谷公会堂での公演の時に、チケットもないのにトランペットのケースを持って楽屋口に立っていたら、そのケースを見たメンバーが「トランペットの生徒か?」と話しかけてくれましてね。私と友人を中に連れて行き、なんと客席でゲネプロを聴かせてくれたんです。ゲネプロが終わると、メンバーのいるところに連れて回ってくれて。その中には指揮者のヒンデミットさんもいて、私はその時「ピアノとトランペットのためのソナタ」というヒンデミット作曲の楽譜を持っていたので、本人に直接サインしてもらいました。今からちょうど50年前のことです。

大きな影響を受けたウィーン留学

大学卒業後、1960年にN響に入り、1962年にウィーンに留学しました。ウィーン・フィルとは、1959年にカラヤンが来た時も楽屋に尋ねていったり、1960年にN響が世界演奏旅行をした時には逆にウィーンで歓迎会を開いてもらったりと交流があったことから、ウィーンのアカデミーの先生(ウィーンフィル首席トランペット奏者ヨセフ・レヴォラ教授)を紹介してくれましてね。受け入れ態勢も整っていたし、試験の印象も良かったようで無事合格しました。どうやらウィーンとは何か運命的なものがあるのかもしれません。

それで、ウィーンに行ってレッスンを受けてみたんですが、音を出したらいきなり「違う」と言われまして。何が違うのか分からなくて尋ねてみると、「オペラを聴きに行きなさい」と。それで毎晩オペラを観に行きました。最初のうちはよく分からなかったんですが、そのうちに、オーケストラのアーティキュレーションの付け方に違いを感じるようになりまして。音符の長さやニュアンスが、ピアノのタッチにものすごく似ているんです。管楽器というのは、音を伸ばした時、普通はだんだん音が大きくなってくるものなのですが、ピアノはハンマーが弦を叩いて、あとは余韻で伸びますよね。ウィーンで聴くトランペットっていうのは、そういうピアノの感覚に近いんです。

それから、ウィーンでは日常の生活の中からも大きな影響を受けました。“ホイリゲ”と呼ばれるワインを飲む居酒屋があって、そこへ行くと必ずアコーディオンやバイオリンの演奏が聴けるんですが、そこで聴くシュランメルというウィーンのポピュラー音楽が、オペラとはまったく違う魅力があって。ものすごい超絶技巧で演奏したと思ったら、とろけるような甘い表現がくる。音楽の表現力の変化をお酒を飲みながら楽しめるんですね。もっとも、私は演奏に圧倒されながら一生懸命分析していたので、酔っ払うひまはありませんでしたが。多分、私のトランペットの表現というのは、そのシュランメルの影響がとても濃いと思います。

貴重な経験をしたNHK交響楽団

N響(NHK交響楽団)は、昔はドイツやオーストリアなどヨーロッパの指揮者がずっと来ていたので、N響もそういうニュアンスで演奏するのが好きだったんだと思います。だから、ウィーンで学んだ私にはマッチしたんですね。N響では、ブルックナーのシンフォニーをヨーゼフ・カイルベルトという巨匠とできたこととか、ロヴロ・フォン・マタチッチ、オットマール・スウィトナー、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ホルスト・シュタインといった素晴らしい指揮者と色々な曲を演奏して、本当に貴重な経験をすることができました。N響を定年で辞めてからは、もともとあった自分の音楽と、ウィーンで3年勉強した固い部分、それにN響で色々な曲を演奏した経験がミックスされて、いまの私の音楽になっています。

N響退職後に選んだ道

N響を辞めた時、俺は責任を果たしたんだと言って楽器を置くという選択肢もあったわけですけど、私が在席していた頃は定年が56歳と早かったこともあって、まだ自分の中にエネルギーがあったんですね。それで後進の指導にあたりながら、ソロやアンサンブルに情熱を注ぐようになりました。ソロの表現力は、それからどんどん増していったと思います。ソロというのは、1回や2回吹いたくらいではなかなか表現力がでてこないんですよ。演歌なんかもそうですよね。何十回と歌いながら、頭の中でメロディと歌詞が自分のものになってきて、それを歌いきった時というのはやっぱり表現力が違うんですよね、きっと。多分、私が求めているのはそういうことだと思うんです。だから、チャンスがあったらいつでも吹きたいなぁと思っていて、東京に出てきて半世紀を迎える今年、表現力がこれだけ変わったところを皆さんに聴いていただきたくて今回のリサイタルをやろうと思ったんです。

私がウィーンで3年間勉強した、固くてきちっとしたはみ出さない楽譜の読み方の中には、やっぱり色んな喜怒哀楽のニュアンスが入ってるんですね。たとえばフランスはそれを表現するのに、表面的にふわっとできるけど、ウィーンの音楽は内面的にそれが入っているのが分かって、やっぱり両方ミックスしないとだめだなと思ったんです。それで今、そんな音楽をやってるつもりなんですけどね。でも、まだ結論が出ていないものですから、音が出る限り続けて行きたいと思います。

いまなお現役で演奏を続ける理由

N響で25年間首席を務めた後、スランプで音が思うように出なくなって、私はセカンド奏者に降りました。その時は、もう演奏を辞めなければならないかと思うほど悩んでいました。ただ、セカンドというのは、音域的には楽なものですから、何とか続けているうちに調子を取り戻して、そこで定年退職しました。ようやく調子が戻ってきた時に退職したので、もっと良くならないかという思いがありまして、それでもう少しやってみようと思ったんです。N響時代は、N響での演奏に加え、国立音大と東京芸大で教えながらの3本立ての生活で非常にハードだったんですが、N響を引退して少し時間に余裕ができると、調子が上向いてきてファイトが湧いてきたんです。そうしたら、生徒の前で模範演奏をしようかという気になって。生徒の模範として吹く以上、いい加減な演奏はできませんから、ちゃんと練習しなくちゃいけない。そこでまた励みの材料が増えたんです。4年前に学校で教えることも辞めましたが、でも私は調子もいいですし、吹きたくてしょうがない。もう、頼まれればどこへでも行くという感じでした。色々な場所へ顔を出しているうちに、だんだんと人間関係が広がっていって、あちらこちらから声が掛かるようになりました。そんな中で次々と新しい友人ができて、この4年間しぼんでいくどころじゃありませんでした。これはやめられないよな、という気がしています。唇が振動しなくなったら、それはもう仕方ありませんが、それまでは頑張って続けようと思っています。若い人が好むような難しい曲はもう無理ですから、年相応に、自分ができることをやっていけばいいと思うんですね。それでも表現力だけはやはり大事ですけど。技術的にダメだから無理だって諦めないで、表現力の方で、バイオリンの方も、歌の方も、ピアノの方も、挑戦してほしいと思いますね。

レッスンでも発表会でも、言葉で指導するだけというのは私は嫌だったんですね。だから、私は発表会をたくさんやりましたけど、全部自分でも演奏しました。正直に言って、中にはひどい演奏をしたこともありましたよ。でも、そうやって頑張っている姿を見せないと子どもたちはついてこないですよね。先生自身が演奏したいと思うのであれば、どんどん弾いた方がいいと思います。

大学で教えていた時、生徒によく言いました。もし君が音楽の先生を志すのなら、先生になってもトランペットを吹くことは忘れるなよ、指揮棒とトランペットを両方持って指揮台に立てよ、と。吹奏楽の演奏会をする時は一曲は必ず自分も吹きなさいよ、とね。だから、結構私の教え子たちは実行しているみたいですよ。そうすると、私も言った手前やらなくちゃいけませんし(笑)。自分に鞭打ってやっているわけです。

「教える」ということ

国立音大では37年間、東京芸大では28年間教えました。「教える」というのは、とても厳格なことなんですね。規則にはめ込んでしまいますから。だけど、それだけでは音楽は育たないんです。だから、レッスンするときには、2曲選ぶんです。1曲は、厳格に音楽の規律を教える曲。もう1曲は好きなように吹かせる曲。自分の表現力だけを伸ばしていくと、ものすごくクセのある表現になってしまって、極端に言えば、人とアンサンブルするのが難しい演奏家になってしまいますよね。だから、同時に規律も教えないとだめですね。規律を教えるときは、とにかく厳格に、テンポ、リズム、強弱、音符のニュアンスをきちっと教える。そうすると、規律を覚えた上に、自由をのっけるようになるんですよ。これは大事だと思いますね。もっとも、厳格な合わせ方をすると、みんな最初は逃げますけどね。でもそうやって頑張って4年間やってると、ある程度できてきますから。教える時は、強要することも必要です。それで自由にやらせるところは徹底的に自由に。時間が1時間あったら、30分は厳格にやって、残りの30分は一緒に遊ぶくらいの感じでしょうか。

ピアノの先生に向けたメッセージ

ピアノって、オーケストラ全員分の音を一人で弾いていますよね。左手の小指はコントラバス、親指あたりがチェロやビオラで、右手が木管楽器やバイオリン。そういうニュアンスってあるんじゃないでしょうか。もちろんピアノの音しか出ないんだけれども、多分ピアノの大家と呼ばれる方はそういうイメージを持って弾いていると思うんですよ。でも、その時にオーケストラのことを分かっていないと、そんなイメージは持てませんよね。だから、ピアノの先生や生徒さんには、絶対にオーケストラを聴いてほしい。オーケストラの曲を聴いて、そのイメージでピアノを弾くと、きっとそれまでとは違う演奏になります。ピアノの楽譜には書いていない、大きなヒントが見えてくるんですね。

日本人は表現するのが苦手なんですよね。してるのかもしれないけど、控えめなんです。私もヨーロッパの人たちに、何を表現したいんだとよく聞かれました。私が説明すると、それには全然足りない、もっと表現しなければそうは聞こえてこないよ、と言われました。やっぱり音楽で大事なのは表現力で、どうやって大きい音を鳴らすのか、どうやって小さい音で鳴らすのか、それは力の強さじゃないんですよね。頭の中のイメージで大きな音が鳴っていれば、大きな音が出るんですよ、不思議なことに。小さい音も、小さく吹こうと思うと緊張して音が震えたりかすれたりするんですが、「弱い音楽だ」と思って吹くと弱くなるんです。もちろん、弱く吹くための技術を練習しなければいけないんだけど、実際に表現をする時にはそれだけじゃダメなんです。イメージで音楽を作っていかないと。それは、きっとピアノでも同じだと思います。

私がいま心掛けているのは、なるべく楽譜を見ないようにすること。楽譜は全部覚えて、それを頭の中から出してくるんです。そうすると、頭の中のニュアンスやハーモニー感と、楽譜に書かれている音楽的要素が合体して自分の中から出てくるんですね。そして、これも演奏を重ねると、よりマッチして出てくるんです。ピアノの場合、あれだけ音符があると大変でしょうが、そんなことを心掛けるときっと音が変わってくると思いますよ。

今回のリサイタルについて

50年前にヒンデミットにサインしてもらった「ピアノとトランペットのためのソナタ」の楽譜。この楽譜を使ってコンサートをやるのが今回の一つのテーマです。それから、サン=サーンスの「セプテット」。トランペットが入ってる室内楽ってそんなにないですけど、この曲はとってもよくできてるので、どうしてもやりたいと思っていたんです。こんな楽しい室内楽があるんだって皆さんに知っていただきたいですね。他にも、私がウィーンに住んでいた3年間、お酒を飲んでいると必ず頭の中に出てきていた「ウィーン我が夢の街」や、カンツォーネの名曲「忘れな草」などを演奏する予定です。

今回は、たまたまN響のメンバーが当日オフで、一緒にやってくれるというのでこれ以上の歓びはありません。みんなN響の現役ですごい人ばかりですから。当日は、最近の私の活動についてですとか、あまり知られていないN響にまつわる話などを交えながら、楽しんでもらえるようにしたいと思っています。トランペットのことを深く知らない方に、トランペットってこんなことができるんだって知ってもらって、興味を持ってもらえたらいいですね。

北村源三先生が推薦するCD

  • スヴャトスラフ・リヒテル「ラフマニノフ ピアノコンチェルト2番」
  • ダヴィッド・オイストラフ「シベリウス バイオリンコンチェルト」

北村源三

京都生まれ。東京芸術大学卒業。1960年より25年間NHK交響楽団の首席を務める。1962年ウィーン国立アカデミーに留学、ヨゼフ・レボラ氏に師事。ソリスト、アンサンブル奏者として全国各地で活躍。1991年、第11回有馬賞受賞。現在、N響団友、日本トランペット協会会長を務める。